今日はワルシャワからグダンスクへ移動です、

今日はワルシャワからグダンスクへ移動
途中 トルンに寄って飛行機ライセンスの更新してきました〜

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トルンはワルシャワの北西250kmくらいに位置する町で
数年前までグライダーアクロのトレーニングキャンプで毎年訪れていた町です。
1939年にナチス・ドイツが占領してWWⅡでは旧市街は捕虜収容所として使用され
戦闘地から離れていたため中世の街並みはほぼ戦災被害に遭わずに現存しています。
もちろん旧市街地は綺麗な街並みで、日本だと奈良みたいな感じになるのかな!?
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数年は通った街だから久しぶりに帰ってきた感覚
2年振りにトルン飛行場の皆さんに会えて良かったです♪

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僕が飛行機関係でバタバタしていたら
すっかり飛行場の猫と仲良くなったみたい(笑)

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マーケットで明日の朝食のラズベリー、ブルーベリー、プラムを買い込む
日本と比べて果物は遥かに安くて種類も豊富、しかも甘くて美味しい♪
ポーランドの夏の果物は最高です〜

飛行場の後はトルンの旧市街地観光
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トルン出身の一番の有名人 スターゲイザーの「ニコラウス・コペルニクス」君と記念撮影
「ニコラウス」はポルトガル語での名前でポーランド名は「ミコワイ」になります。
※ちなみに僕は日本語名はタカシでポーランド名は「タデウシュ」です! ソコはどーでもいいか(笑)

コペルニクス君は「馬鹿じゃねえの 地球が動いてんだよ! www」って地動説を唱えただけじゃなく
経済学の分野でも、貨幣の額面価値と実質価値の間に差が乗じた場合、実質価値の低い貨幣のほうが流通し、価値の高い方の貨幣は貯め込まれて流通しなくなる 「悪貨は良貨を駆逐する」ことに最初に気づいた人物
まぁ、言われてみればそうだよねぇ、 同じ貨幣価値の金貨でも金の含有率が高い方の金貨の方が価値があるもんねぇ~
「頭良いねぇミキ♪(ミコワイのニックネーム)」

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トルン旧市街地の北側にあるピェロガルニア スターリ トルンで
タンブリング(焼いたピエロギ)で遅いお昼ご飯にしました〜
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トルン観光の後は一気に北上して海を目指す。
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トルンから170kmほどの距離で2時間掛からずに港町グダンスクに到着
バルト海南部のグダンスク湾に接するポーランド最大の港湾都市

もちろんWWⅡでも港湾都市なので重要な戦略拠点
1939年のポーランド侵攻では「友好訪問」を名目に港内に停泊していたドイツ海軍の練習艦シュレスヴィヒ・ホルシュタインの海軍陸戦隊が制圧してドイツ軍が占領
シュレスヴィヒ・ホルシュタインは練習艦として登録されているけど、それはWWⅠでドイツが負けてヴェルサイユ条約で縛られて改修により練習艦として運用されているだけ実際に艦砲射撃を行っています。
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郊外に駐屯していた180人のポーランド軍は3,500人のドイツ兵を相手に勇敢に戦ったが、
7日間戦闘した後に弾薬と医薬品が尽きて降伏

3500 vs 180って戦力比19.4倍、、、さらに練習艦って言ってるけど事実上「戦艦付き」
港を取られちゃってるから、持久戦に持ち込んでも時間が経過すれば海から援軍をバンバン送り込まれちゃう
上陸作戦って遂行する方が圧倒的に不利になるから、ドイツは準備万端で戦端を開いたって事

こりゃ無理ですよねぇ、、、
それでもポーランド軍は7日間の戦闘でドイツ軍の急降下爆撃機や海軍砲撃を含む13回の攻撃を撃退したそうです
根性あるなぁ~

そんな歴史を持つグダンスクの町は、
1952年にポーランドが独立を回復すると、ドイツでの呼び名「ダンツィヒ」からポーランドでの呼び名「グダンスク」を
公式名称としてポーランド領への復帰、
戦争で廃墟となっていた市街地は、残された資料をもとにポーランド人の手によって完全に復元され
現在のグダンスクは多くの観光客でにぎわうポーランド最大の観光地となり
同時にポーランドの主要貿易港になっています!!

高速道路を降りてグダンスク空港へ向かうと小さな山があって、
予約した宿は、ちょっと山を登った住宅地
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今夜の宿はなかなか綺麗です♪

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